ピンの革命の歴史はパター作りから始まった。
レイトビギナーのカーステンはパターが大の苦手!普通であれば練習に励むというパターンになるんですが、根っからのエンジニアなので、それなら自分のためのパターを作ってしまえということになったんです。
当時、カーステンがすんでいたのはカリフォルニアのRedwood City。
科学的な裏づけと綿密な計算を元に創作を開始しました。
以下はThe Ping Scottsdale & Redwood City Putter(Fact Book & Collector Guide 50th Anniversary 1959-2009)から、Redwood City時代だけで上記のパターを作っているんですね。
Redwood City:
No Model Pat Pend
No Model “F” Flat Lie
No Model “U” Upright Lie
最初に3通りのライ角のパターを作成していることが注目に値するのでは思います。最初からライ角について考慮していることがわかります。
MOD.1A
MOD.Ⅱ
No Model(MOD.ⅡHead)
MOD.ⅡA
MOD Ⅲ (No Line on Top )
MOD.ⅢA
MOD.Ⅳ(No Line on Top)
MOD.ⅣA
A5
B5B5C (Croquet}
その中にあり、スリットを入れることでインパクト時にピーンと音がするパター「1-A」それが1958年に完成したのでした。
この試作品はカーステンの悩みを解決したばかりか、仲間内でも評判になり、いっそうパター作りに打ち込むことになったのは必然だったのでしょう。
Scottsdale:
1A(1959)
その後、転勤でフェニックスに移ったカーステンはたくさんのパターを創作しました。
1A Gary Player
2A
ⅢA
ⅣA
69
69 Croquet
69T
69 FT
69 FTL
69W
B66
B67
B68
B69
69 BC
69 BC Croquet
BLD
MLT
Kushin
Kushin Slazenger/Jack NickJaus
Cushin
Cushin Gary Player
Anser
Anser Gary Player
Trainer
そして、1966年に名器「ANSER」が生まれるのですが、これは1-Aのある欠点を克服したものでした。 続く